こういうことのために生きている
先週末の朝霧JAMのことを思うと
とてもとても幸せで泣けてくるほどで、
終わってしまってさみしくて
ぼーっとしてしまう。
台風19号が完全にヒャッハーなかんじで近づいてきており、
18号とほぼ同じ進路などと言うものだから、
君には主体性だとか独自性だとかいうものはないのかと小一時間19号に問うたところ、
おれ じゅうはちごう すき
だからおれ じゅうはちごうと
とか言って来たので、話にならんわ!
と19号に言い捨て、説得はあきらめたのだった。
木曜日あたりから、仕事そっちのけで台風情報と朝霧高原の天気予報のサイトの更新ボタンを押しまくる高橋名人と化していたのですが、
という感じだったので、
もう日曜日の夜にキャンプするのは諦めて、あとは奇跡が起きて日曜日も雨が降らない、ということを
祈るしかなかった。
そうしたら金曜日に19号の速度がちょっと遅くなったとの情報が入り、
そういう幸せだったけれど、
年をとると、それがそこに毎年あることのありがたさ、
変わらないでいてくれることの素晴らしさに感謝をする。
6年前に一緒に行ったひとと、また一緒に行けたり、新しく一緒に行けるひとがいたり、家族ができていたり。
なんだかいろいろあるのだけれど、朝霧はいつもそこにいたし、きっとこれからも、いるのです。
生きてゆくちから
アパレルのひとっぽいこと書こうと思ったのですが
日替わりパジャマくん
ある日私の中の星野クリスチーネ恵美子先生が、
最近疲れが取れないのも二日酔いがひどいのも彼氏ができないのも全部全部この着ない服のせいなんだきっとそうなんだギャース!と高円寺の真ん中で叫び、
パジャマなんていらねえよ、夏。とつぶやいたのち、
若干鼻息荒いかんじで友達に連絡をし、
NちゃんとSちゃんがのっかってくれたので、
疲労がコンパイル
9月に入ってからなんだか忙しく、
目が数字になって口がレジになってガシャーンと飛び出したので
レジになった口を無理矢理戻したところ今度は耳からすごい勢いで空気がプシューと出て、
実験が失敗して髪の毛がちりちりになったりしている。
寝ても寝てもからだの疲れがとれなくて、
気がついたら私の中の不思議田ふわり子ちゃんがおぼつかない足取りで横断歩道の白い部分だけを選んで歩いていたりとか、
ぼーっとするのですごい勢いでガムを噛んでもしかして私ってメジャーリーガーだったんじゃないかと思ったりしている。
今日は鉄鋼の部署の人から間違いメールが届いたのですが、
私としたことが間違いメールから始まる鉄の人との恋の妄想をする元気もなかった。
(余談ですがうちの部署のひとは鉄鋼の部署の人のことを鉄の人と呼んでおり、鉄鋼部署の女性社員のことを鉄の女と呼んでいる)
そんな感じで、なんだかよくわからないんだけれど疲れがたまっているようで。
なんか、とろみのある液体に浮かびたいですよね。けんちん汁とか。
と会社のひとに言ったところ、
ああわかります、片栗粉的なね。なんか、疲れとれそうですよね。
と思いのほか同意を得られたのでなんだか嬉しかったんですけれど。
高校のとき友達がとても寒い冬の日に、
コーンポタージュの中を泳いで帰りたい
という名言を残したのですが、
こう、とろみに包まれたい願望、ってなんかありますよね。
それに近い感じっていうのがたぶん、かの有名な無印の「体にフィットするソファ」なのですが、
このソファを持っていたときにフィットしすぎて、本当に体にフィットしすぎて、
もう、私なのかソファなのかわからないくらいで、アイデンティティの危機とも言うべき状態で、
最終的に自我を乗っ取られ、
ソファの上で朝まで寝てしまったことが何回もある。
フランスに行く際にそれを母親にあげたのだけれど、
エミちゃんあのソファやばいです起き上がれない、とすぐにメールがきた。
現在母親はベッドの上にそのソファを置いており、上半身はソファ下半身はベッドみたいな感じで寝ていて
見た目すごい変なんだけれど寝せてもらうとものすごい気持ちいいのだ。
昔ダブルワークをしていたときに、
からだも心もばきばきになってカイロプラクティックに行ったのだが、
そのときにそこの人にどや顔で
「立っているのが不思議な背骨です」と言われて泣きそうになった。
泣くこたないと今では思うんだけれど、
めちゃめちゃ疲れてて、ただそれを癒してほしかっただけなのにそんな奇跡のひとっぽいこと言われて、
言い方ってもんがあるでしょうが、子供がまだ食ってる途中でしょうがと思い、
誠意って、何かね、っていう気持ちになった。
アタシ25年間立ってるし!ばか!って。
けんちん汁に浮かびたいと思いつつ、
ビールの海に溺れている、それが私。
わざわざ体言止めで言うほどのことでもないのですけれど。
あの、イグ・ノーベル賞?バナナの皮の滑りやすさについてなんですけれど、
嘘みたいなんだけれど私は本当に道ばたに落ちているバナナの皮を踏んで盛大に滑ったことがあるので、
そうなんだよ、超滑るんだよバナナの皮って!!!
と、朝から興奮しています。
あと、私だって加瀬亮とピエール瀧と田中圭に見つめられながら唐揚げをつくってふふと微笑んでみたりしたいのです。
ではみなさま、よい休日を。
ノーとりとめでフィニッシュ。
海を見ていた午後
横浜に、臨港パークという公園がある。
臨港パークと口に出した瞬間に頭にLINKIN PARKが浮かび0.5秒ほど騒がしくなるのが
私の中の臨港パークあるあるなのですが皆様はいかがでしょうか。
あの、臨港パークっていう字面と響き、すごくいいですよね。
臨 港 ってすごいカタい感じなのにパークでいきなりヌケ感出してくるなって。
おしゃれ上級者か、って思いますよね。
りん こう って言われたらなんだかビシっとした顔で とう しゃ かい じん れつ ぜん ぎょう!
とか言いたくなるのに、
パーク!ってなるっていうか。
よりにもよってパーク!っていう謎の興奮。
前置きが長くなりましたけれど、臨港パークで先日、海見したんです。
臨港パークでピクニックをすることを10年ほど前から「海見」と呼んでおり、
また海見したいねなどと言いながら本当に10年たってしまった。
恐る恐る昔のブログを覗いてみたところ、前回行ったのは2005年5月。
10年前の私は臨港パークで昼から酔っぱらってその後後楽園ホールに移動してボクシングの応援に行っており、
大学4年生の謎のスケジューリングと移動距離に10年越しに首をひねったりしていたわけです。
とにかく、ピクニックっていうか、
まあ、外でお酒飲むのが好きなんですよね。
そして、常に探しているんですよね。公然と野外でお酒を飲める理由を。
わざわざ倒置法で言うほどのことでもないんですけれど。
たぶん、見た目のダメ感、享楽度を可能な限り薄めたいというスケベ心なんですよね。
街なかで缶ビール飲んでたらすごいダメ感ありますけど、
海の見える公園の芝生の上で飲んでたらダメ感ないですし、
むしろピースな愛のバイブスでポジティブな感じが下手したら出るっていうか、
調子にのってエコとかロハスとか無理矢理ねじこんでも気づかないかもしれないし、
充実した人生と物欲にまみれていない風を装えるっていうか、
お金とかじゃないよね的価値観持ち合わせてますよアピールっていうか、
とにかくまとめるとなんかよくわかんないけど見た目いい感じですげえ酒飲めんぞ
っていう。
フジロックとか朝霧とか、ほぼその楽しさな気がしますよね。
アルコールのダメ感や享楽さが、緑や太陽や音楽や富士山やキャンプでうやむやになり、
朝一でビール飲んだりしても朝一で牛乳を飲むがごとくの絵面というか、
赦されている感じなんですよね。
もはや何からそんなに赦されたいのかわからないんですけれど。
そしてわたしはだいぶすでに甘やかされているというか赦されてますし、
なんていうかみなさまいつもすみません。
海を見るって、なんであんないい気分になるんでしょう。
決してわたしは夏っしょ海行くっしょノリっしょ焼くっしょとかいうひとではないのだけれど、
それでもなんか、
、、あるよね、生きてれば、、そういうこともサ、
みたいな、けだるい前向き感に包まれるあの心地よさがたまらないのです。
そこに海があり、
お酒があり、
あなたがいること
とかいう私の中のポエ美が突如つぶやき出したりして手に負えないんだけれど、
それでもやっぱり、海を見ることは、とってもいい。
わたしたちの隣にカップルがいて、1時間ほど静かに、言葉もあまり交わさずに寝転んでいたのだけれど、
帰り際に女の子が男の子にさらっと
あー楽しかった、
と言っていて、わあ!と勝手に盛り上がってしまった。
静かに二人で一緒に居て海を見ていたことをそんな風にぽろっと出ちゃった風に楽しかったなんて言われたら、アナタそれ以上の愛の告白がありますかと、
心の中の教卓をばんばんと強く叩いた。
なんだったらおい彼氏今の意味わかってんのか!と頬を染めながら胸ぐらをつかみたい衝動にかられた。
海を見ながらビールを飲んでとっても幸せなんだけれど
それを幸せと感じる素地があることがすでに相当に幸せなのですよね。
ポエ美的に言うと「あなたがいること」の部分に満たされすぎていてそれが自然だと思っていたけれど、
そもそもビールが美味しいのも海が綺麗なのもイッツユー、あなたたちのおかげだった。
10年前も今も、いつだってそうなのです。
おはよう世界!
だいじなあなたたちよボンウィークエンド。
比べるなんてできない
季節の変わり目で、嗚呼なんだかからだがかゆいなあという気がして、
薬局でいくつかかゆみどめを買ってみるも、なんだかお上品すぎて効かず、
そういえばパッケージに黒木瞳が書いてあったなあ、とか、
黒木瞳のかゆみってたいしたことなさそうだなあ、とか、
ていうか黒木瞳がかゆくなることとかあるんだろうか、とか、
黒木瞳よりも絶対にあたしのほうがかゆいんだから、とか、
よくわからない黒木瞳への嫉妬心と紆余曲折を経て、
最終的になんとなく昔ながらのムヒを買ってみた。
で、ある日お風呂上がりにすぐムヒを塗ったら、まあちょっと考えたら予想できそうなことではあるんだけれど、
なんかめっちゃスースーする、ってなって、
てかスースーが止まらない、ノンストップスースー、キャントヘルプスースーイング、ってなって、
スースーしすぎて私どうにかなっちゃうんじゃないか、って思ったんです。
日本でいちばんとは言わないまでも杉並区ではかなり上位でスースーしていたはずなんです。
なんていうか、消えちゃうんじゃないかって、思ったんです。
いまわたしが消えたら、わたしがスースーしすぎたゆえこの世からいなくなったことを誰も知らない、と思って、
焦ってお母さんに電話したくなるくらいにはスースーしてたんです。
その後ともだちと約束してたから、いかに先ほどまで私が前代未聞にスースーしていたかを若干コーフン気味に伝えたのだけどあまり共感を得られず。
もはやスースーって言いたいだけなんですけれど。
さらにムヒってなんでムヒっていうんだろう、って調べてみたら、
「無比」らしく、『比べるものがないほど(すぐれた効き目)』という意味をこめてつけられているらしいんです。
え、、、ちょういい名前だし!
壁際に追いつめられておまえはおれのムヒだ、って言われたら、もう完全に、もうですよね。
しかも今週仕事がトラブル続きで若干落ち込んだりしてたんで、
そんなときにムヒだとか言われたら、アタシ、、ムヒなの?って一発ですよね。
生きてていいの?ムヒなの?って。
嗚呼私も誰かのムヒになりたい。そういうことですよね。
そう私はただ彼氏がほしいんじゃない、ほしいのはただひとりの、、ムヒ、、などと、
ムヒの立派なネーミングのせいで複雑なきもちで数十秒空を見つめる、ということになったりしたわけです。
みたいな感じで本当に日々雑念が多く、
大学のときに同じクラスの男の子に、エミちゃんが8ピロでよくぼーっとしているのは
昔バイク事故で死んだ彼氏のことを思い出しているときだ、
という設定にされていたりして、もちろん私にそんな悲しいドラマティックな過去はないのですけれど。
ただ本当に日常生活に若干の支障があるレベルでなんだか色々散漫なんです。
だってカタカナでムヒって書いてあったらなんかこう、小林製薬的な楽しげなネーミングかな、って思ったらまさかの無比でガーンっていうか。
そんな雑念を振り払うべく本日も環七を走るのであります。
ていうかもう眠すぎて無比からいいこと言おうと思ったのに言えないおやすみなさいグー。